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2009年6月11日 (木)

#萩の松下村塾と秋芳洞


昨日は夕食後、このホテル萩本陣の敷地内にある、1両の定数9名で2両編成のミニモノレールで、高さ150メートルの山上の展望台まで乗車してみました。
展望台からの夜景は、想像以上に素晴らしく、市内のともし火や海上のいさり火などが、闇の中に輝いていました。

(写真説明1・ 玄関上に ホテル萩本陣とかかれてある看板 )

今日は車でホテルを出ると、すぐに松陰神社に着きました。
この敷地内には、吉田松陰が関わった松下村塾と、松陰の住んだ母屋が史跡として残されています。

(写真説明2・ 史跡 松下村塾と書かれた石碑と案内板 )

松下村塾の内部は、部屋が三室ほどと、十畳ほどの和室の講義室に、掛け塾のそばに松陰が座っている像があります。

(写真説明3・ 庭から見た講義室で、室内の右手に 松陰の像が短ざし 掛け塾がかかっています。 )

この松下村塾は、江戸時代後期の幕末に、長州藩士であり思想家で教育者の吉田松陰が、講義した私塾です。
松陰が安政の大獄で粛清されたため、わずか3年で廃止されてしまいました。

(写真説明4・ 玄関と講義室の見える 松下村塾の全景 )

(写真説明5・ 玄関より見た 松下村塾の室内 )

この松下村塾は、武士や町民、農民など身分の隔てなく受け入れたのが特徴であり、塾生には高杉晋作、伊藤博文、山形有朋など、明治維新で新政府に関わる人間を多く輩出しました。
また、隣には、割りに大きな平屋の吉田松陰の旧宅が建っていました。

(写真説明6・ 正面より見た松陰の母屋 )

この松陰神社は、松陰を祭神とした学問の神社で神殿に参拝しました。

(写真説明7・ 鳥居に注連縄と 日の丸の提灯の飾られた松陰神社 )

次に、萩の名所の堀内地区の鍵曲がりを見に行きました。
ここは古いシックイノ塀と門を備えた閑静な屋敷街です。狭い道路が鍵の手のように直角に曲がり、戦時には見通しが悪いため、敵の侵入を防ぐように作られた道で、重臣の屋敷を守り、城下町としての特有な防衛のための街づくりとなっています。

(写真説明8・ 古いシックイの塀と土の塀が続く 屋敷町にある かぎ曲がりの道 )
 
夏ミカンの木が、どこの家の庭先にも目に付く萩の市内を後にして、山越えの道を走り、最後の観光地 広々とした草原の秋芳台に到着しました。

(写真説明9・ 緑の草原に白い石灰岩が点在しており 羊の群れのように見える秋芳台 )

この秋芳台は、はるか昔、海でサンゴ礁として誕生しました。そしてドリーネや鍾乳洞が発達した石灰岩の台地でできたカルスト台地となり、天然記念物として保護されています。
展望台などからの眺望は広々とした草原の中に、白い石灰岩が点在しているので、丁度草原に放牧された羊が群れているように見えます。

(写真説明10・ 秋芳台の石灰石のアップ画像 )

いよいよ秋芳洞の入り口からエレベータで80メートル下ると、地下には何と広い空間があるのには感嘆しました。
気温17度で薄暗く湿ったコースをたどって行くと、ザアザアと谷川の流れのような音が聞こえてきます。

(写真説明11・ 自然の力で作られた 天井から床までの茶色の円筒形の大黒柱 )

やがて音声ガイドの声が聞こえ、この地点は洞内で一番広く、千畳敷と呼ばれている所だそうです。そしてここは、幅150メートル・長さ200メートル・天井は厚さ100メートルの石灰岩で覆われており、丁度広いドームの中にいるような感じです。
更に下ってゆくと、水に溶けた石灰分が沈積して皿のようになった 百枚皿・幾段にも分かれて落ちる滝が石化した から滝・山里の棚田のような小さな皿が重なっている 千町田・黄色の岩が幾重にも縦に束ねられたように見える 黄金柱などの自然岩の造形を鑑賞することができました。

(写真説明12・ 蘇鉄岩は岩壁から幅2メートルほどの円形にせり出してきた茶色の岩)

(写真説明13・ ちまちだという名称の岩で文中で説明済みです )

(写真説明14・ 黄金柱という名称の岩で本文中で説明済みです。 )

再びエレベーターで明るい地上にでて、新山口駅より15時06分発の新幹線の望みに乗り込み、山陰の旅を締めくくりました。

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