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2009年6月 5日 (金)

世界遺産の石見銀山と津和野の観光


昨夜 宿泊した温泉津温泉は、重要伝統的建造物保存地域となっています。
狭い道に木造の2~3階建ての民家と、旅館が混在しており、旅館というより「はたご」といった方が、ふさわしい静かで落ち着いた街並でした。
また、かってここは石見銀山の積出港でもあったとのことです。
温泉津温泉を後にして、車で石見銀山の観光案内所へ向かいました。
ここで町内の車の通行許可証をもらい、一般車両禁止の民家の点在する谷間の町をしばらく行くと、落石工事のために通行止めとなってしまいました。
車を降りて、静かな山間の道を古い屋敷跡を見て登ると、龍源寺間歩につきました。

(写真説明1・ 坑道入り口に 史跡石見銀山 遺跡 龍源寺間歩と彫られてある石碑 )

坑道入り口で、係りの方から銀山の説明を聞くことが出来ました。この間歩(まぶ)とは坑道のことだそうです。

(写真説明2・ 入り口にある 龍源寺間歩の 坑道案内図と 説明文 )

この銀山は鎌倉時代末期に大内氏により発見され、本格的採掘は大永6年神屋寿禎によりはじめられました。そして16~17世紀には、シルバーラッシュとして、最盛期を迎えましたが、昭和18年(1943年)の閉山まで、228年にわたり銀の採掘が行われま
した。

(写真説明3・ 重さ8キロの この鉱石に 銀はどの程度含まれているのでしょうか )

石見銀山の特徴は、自然を破壊することなく環境に配慮して自然環境と共存した産業遺跡として認められ、平成19年7月に世界遺産に登録されました。
坑道に足を踏み入れると、この龍源寺間歩は江戸時代に掘られたもので、坑道の156メートルを公開しており、高さは1.6から2.1メートルで、幅は0.9から1.5メートルありました。坑道内部は当時のままであり、岩をノミで彫った跡を触れることが出来ました。

(写真説明4・ 坑道内は 立つていると 頭がつかえそうな高さで 岩もごつごつ )

また、左右には20以上の試掘跡や鉱脈に沿って掘り進んだ横穴があります。
この横穴の大きさは約高さ90センチ・幅80センチほどで、腰にござを敷いて尻をついて入り、何とかイザッテ進むことが出来そうですが、身体を動かすごとに腕や頭が岩に触れて、身動きもままならない状態のように思われます。
この狭い空間で、ノミをふるって岩を削って行くのは至難の業だと感じました。
この石見銀山は、風光明媚など観光目的にはふさわしくありませんが、歴史に関心のある人には興味ある世界遺産だと思います。

次には車で津和野の観光に向かいました。
津和野市内に入ると、観光客がたむろしている殿町通りの掘割を覗くと、何と色とりどりの大きな鯉が沢山泳いでいます。鯉は人の声や音に反応して近寄ってきます。

(写真説明5・ 津和野名所の なまこ塀と 掘割に泳ぐ色とりどりの 大きな鯉 )

この2メートル幅ほどの掘割の近くには、大小の武家屋敷跡の門が残されています。
一番大きくどっしりと立派な門と土塀は、津和野藩 筆頭家老の多胡家の表門跡ですが、何と門の後ろには建物はなく道路になっています。

(写真説明6・ 津和野家老の多胡家の 表門 )

2番目に大きな門は、やはり家老の大岡家の表門で、敷地内は町役場になっているようで
す。

(写真説明7・ 津和野家老 大岡家の 表門 )

3番目の表門には、2軒の表札があり個人宅のようでした。また、掘割の向こう側には、なまこ塀に囲まれた、カトリックの教会が立っています。

(写真説明8・ 掘割と なまこ塀に囲まれた 津和野のカトリック教会の全景 )

津和野駅前にくると、丁度山口線のSLが正に発車しようとしています。急いで土手に上り、間近に長く尾を引いた汽笛を聞き、5両ほどの客車を引いて力強く発車してゆく姿を見送ることが出来ました。

(写真説明9・ 黒煙をあげて 客車を引っ張る 山口線のSL )

更には市内の森鴎外が、幼少の時にすごしたという旧宅を見て、日本五大稲荷の一つ、太鼓谷稲成神社に参拝しました。

(写真説明10・ 津和野で 幼少時をすごした 前庭のある平屋建ての 森 おうがいの旧宅 )

(写真説明11・ 白壁に 朱塗りの柱の 太鼓谷いなり神社 )

そして車で萩まで行き、今日の宿であるホテル萩本陣に入りました。
ホテルでは多くの風呂を渡り歩いて、汗とともに旅の疲れも流し去ることが出来ました。


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