« 中国領内モンゴルの話 | トップページ | 永源寺の花魁道中 »

2008年4月24日 (木)

山桜と山の味覚を訪ねて

活き活きとした芽吹きの新緑の中、圏横道を走り抜けて日の出ICより、あきる野市内にはいると丁度、市内のしだれ桜は満開でした。
武蔵五日市駅を過ぎて、最初の目的地の大悲願寺の駐車場に乗り入れました。

この寺は真言宗の寺で、鎌倉時代のはじめ(1191年)に、源頼朝の命で建てられたといわれる名刹です。

「ア・ウン」の二体の仁王様のいる由緒ある仁王門をくぐり、境内正面にある本堂の軒下
の壁には、左手に極楽絵、右手に地獄絵の彫刻が掲げられていました。
また本堂近くには白萩があります。
この白萩は説明文によると、仙台藩主の伊達政宗が、秋川の鮎漁に来遊し、大悲願寺に立寄ったさい、庭に咲き乱れた白萩を一株譲って欲しいと、後に書簡を送ってきました。これが芝居で有名な「千代萩」の元祖といわれています。
また、この手紙は「白萩文書」と言われ、東京都の有形文化財として所蔵されているそうです。
「大悲願寺境内の霊場をお参りすれば、四国八十八ヶ所霊場を巡ったのと、同じ御利益があると言われています。参道脇には高さ1メートル・幅40~50センチ位の石室に、それぞれ一体づつ、いろいろな仕草をした仏像が鎮座していました。


山腹の途中には、木製の赤い播磨矢橋があり、下から見上げると、この橋のそばに帆掛け舟の帆のように、枝を刈り込まれた樹木が立つていました。
この大悲願寺を出て、五日市線の線路を挟んで、ほぼ向かいの山腹にある光厳寺(こうごんじ)へ向かいました。
この光厳寺は、1338年頃に、足利尊氏が創建したと伝えられる臨済宗建長寺派の古刹です。
割りに新しい山門を通ると、山桜へ後60歩の表示がありました。
染井吉野でしょうか? 頭上からは雪のように桜の花びらが散り始めており、地面には花びらが敷き詰められていました。

この寺の急傾斜の崖に咲くヤマザクラは、丁度見頃で、幹囲り5.33メートル・枝張りは東西25メートル・南北18メートル・樹高は17.34メートルで、推定樹齢は400年といわれている見事な古木です。
ここから見ると崖の下には、周囲を林に囲まれた段々畑があり、うぐいすや野鳥の声も聞えて、懐かしくものどかな、あの昔ながらの田舎風景が望めます。

柔らかな斜面の草原に立ち、風もなく暖かく気持ちよい日差しを一杯に浴びていると、向いには低いながらも連なった山々が見えて、のんびりとした里山風情を堪能することができました。
次は昼食を取るため、炭火焼の和食料理の黒茶屋へ向かいました。


この敷地内は、池・小沢・水車が回っており、ちょっと奥山に入った雰囲気でした。

歩きにくい不揃いの岩の階段を辿り、予約しておいた池の見える個室に落ち着きました。
この部屋からは、木製のテラスの先には、すぐに池があり沢音も聞えています。
料理は、カタクリノ花のお浸し・ヤマメの炭火焼・ますの刺身など、山の幸が主で時に竹で作られた器に盛られた山菜料理に山の味と趣に舌鼓を打ちながら味わいました。
沢音を聞きながら、静かでノンびりとした優雅な時間を過ごせる幸せと楽しみを、しみじトみと感じたひと時でした。

« 中国領内モンゴルの話 | トップページ | 永源寺の花魁道中 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 中国領内モンゴルの話 | トップページ | 永源寺の花魁道中 »